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沿革
ぶつかり、学び、一歩ずつ積み重ねてきたもの。それがKYOEI HISTORY
これまでの道のりは平坦ではなかったけれど、ふり返ればすべてが私たちの成長の糧。KYOEIはこれからも新たな歩みを重ね、独自の存在価値を築きます。
1987.裏切り、挫折…人間不信に苛まれた店舗運営への挑戦
手広く事業を営む父が病に倒れたのをきっかけに、その事業の一つであった不動産の世界に転進。まったくの未経験からKYOEIをスタートさせ、当時、不動産業と並行して運営していた複数のベーカリーのマネジメントを任されるようになる。
1990.裏切り、挫折…人間不信に苛まれた店舗運営への挑戦
製パンの経験も技術もないままに始めたベーカリーの運営・マネジメント。今日どんなに心を尽くしても、明日には心離れてしまうスタッフの後姿を見送るたび、徐々に自信喪失に。飲食店ではなく他の活路を見出したいと、様々なビジネスを模索する中で目をつけたのが…
1993.一つの疑問から生まれたアイデアがカラオケビジネスへと発展
当時、カラオケ機器メーカーが販促目的で経営していたカラオケ店。サービス精神のかけらも感じられない接客、提供される食事の質の悪さに辟易し、業界を変えなければと使命感に火がつく。サービス重視に加え、部屋ごとにコンセプトを変えたカラオケ店をオープンさせ、全国でもトップクラスの集客率を誇る店舗へと押し上げたことで確かな自信を取り戻す。
2003.北新地の夜を変える。テナントビルを取得し、新たな店舗の誘致に奔走
カラオケ店の成功と前後してアパレルショップなどを立ち上げ、繁盛店へと導く。数々の店舗運営で培ったノウハウを活かすべく、次に目指したのが不動産デベロッパーとしての成功。高級店ばかりが並ぶ新地という街で、若い会社員が気軽に立ち寄れる店をつくるというビジネス構想を語り、同業者の度肝を抜く。
2005.新地での成功を受け、中崎町でもビルを取得。KYOEI新時代の幕開け
「絶対にうまくいかない」と非難を浴びたレストランやワインバーの誘致戦略が奏功し、KYOEIは中崎町でも新たなテナントビルを取得する。薄暗いイメージだったビルを白やベージュを基調とした明るい建物へと再生させ、ネイルサロンなど美容事業を展開する企業に一棟貸し。不動産デベロッパーとして、さらなる自信を得る。
2009.伝統と感性が融合する街づくりを。「XROSS chayamachi」で商業施設の概念を変える
そして、ついに茶屋町に400坪もの土地を取得して念願だった街づくりに着手。「街のポテンシャルを損なわない開発」を合言葉に実現したのが「XROSS chayamachi」だ。あえて高層の大型商業施設の建築を避け、低層の建築物をいくつも配することで人や風、光が行き交う街を生み出した。この街づくりをきっかけに、KYOEIは今後も伝統と感性が融合する街づくりを目指す。
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